ナッツの物語 その4
お読みいただきまして有難うございます!
会長の3回生KKさんが…おそらく6月後半頃でしょうか…
有難いことに当時入手困難で幻のスクラッグス教本の初回本の
ソング・セクションのコピーを参考に…と貸していただいた。
勇んでこれをコピーしようとしたけど、コピーはやたら高い…。
この頃の物価をネットでみると、素うどん100円、ラーメン180円、
ビール140円、喫茶店コーヒー120円、封書15円、葉書7円、学生の
バイト時給230円、週刊朝日80円、朝日新聞の朝夕刊月間900円…
なのに、コピー1枚は30~40円くらいだったかな~。
それも感光式だったので時間が経つと黒くなったり薄くなったり、
劣化がたいへん激しく、まったく見づらくなってしまう。しかし、
こんな宝物はないぞ~っと考えた結果、借りた日から夏休みが
終わる頃まで、私は毎夜毎夜風呂上りに布団にうつぶせになって
少しずつ少しずつ五線紙に心躍りながら、時には萎える気持ちを
叱咤しながら万年筆と細いマーカーペンで写していった。
(写真:書き写したバンジョー・タブ集)
今思えば馬鹿みたいだが、殆どすべて5線譜はもちろん、歌曲は
歌詞とメロディまで書写していた。
よほどメジャーなプレイヤーや曲でないとレコード音源の入手が
困難な時代なので、タイトルは聞いたことがあるが…音は全く…
という曲が多かった。
カセット・テープが発売され、一般的に広く行き渡るのはまだ
数年先、あるのはオープン・リールのテープ・レコーダー、
当然ビデオ・デッキなどないので動画は全くない。
繰り返し繰り返し練習し、何とか弾けるかなぁ~と思った曲の項に
鉛筆でチェックを入れた。チェック数が増えるのが楽しみだった。
これはなんだかおかしいなぁ~と思いつつ写経?した「Shuckin'
the Corn」は誤植なのか、「Fare Well Blues」が少しだが、間に
紛れ込んでいたのだ!これはたいへんラッキーだった!
夏休みも終わり返却の日が近づいた、最後の2曲だけ惜しみつつ
五線譜は省いてメロディと歌詞、タブの部分だけに留めたが、
最初からタブだけでよかったのだ…。
何十年も経ってしまったが、今見返しても、ワクワクしながら
書き写していたあの感覚…心の高ぶり…がありありと甦ってくる。
「じゃじゃ馬億万長者」シーズン7、エピソード9でスクラッグスが
自身のその教本のコマーシャルをさりげなくしていた場面があって
笑える…。
そしてジェスローがアールに「Hi, you learn by banjo book Scruggs?」、
するとアールが「Yes, Jethro. I’m learning」とか何とか返していた…。
(下写真左上:手にとって見たジェスローがアールに教本を返す)
(写真右上&左下:アールはしっかりと教本を抱えている…
右下写真が新訂版、上にオレンジのラインがある)
スクラッグス教本旧版の本物は1年ほど後の2回生の夏過ぎ頃かな、
心斎橋ヤマハで予約して、3~4ヶ月か、相当時間がかかったが
アメリカから取り寄せてもらって購入した。受け取ってビックリ、
送られてきたのは予期せず値段が高いハード・カバーの方だった。
そして、旧版ながらちょっとだけ改版されていたので、「Shuckin'
the Corn」の処の「Fare Well Blues」が影も形も無くなっていた。
写していてよかったぁ~!
一昨年2014年にスクラッグス・センターに行く機会があって、
そこでかなりバージョン・アップした新訂版を購入した。
詳しくはまた後々にその話はしよう…と思ったが、気を取り直して
今のうちに簡単に…下掲します…。
プレイヤーが一番興味をそそるのは、後半のソング・セクション、
いわゆる楽曲のタブである。調べてみたら以下の増減がある。
旧版にのみ掲載されていた3曲は…
Down the Road
Home Sweet Home/Silver Bells (Banjo Duet)
Nine Pound Hammer
新訂版にのみ掲載されている14曲は…
American Made-World Played
Bleeker Street Rag
Broad River
Carolina Boogie
Carolina Traveler
Instrumental In D Minor
Loraderojost 111 Breakdown
Pedal To The Medal
Pick Along
Silver Eagle
Station Break
String Bender
Train Number Forty-Five
共通しているのは30曲ある。
但し、共通とは云ってもちゃんと更新されている…。例えば…
フォギー・マウンテン・ブレイクダウンは旧版では初めのブレイク
だけだったが、新訂版ではセカンド・ブレイクも掲載されている。
等々、盛沢山!
では…また…
ナッツの物語 その3
お読みいただいて有難うございます。
KGアメ民には、今年結成50周年を迎えるあのBluegrass 45
(以下45)のフラット・マンドリンOAさんがおられて
これまたビックリ~!
45のグループ名だけは高校時代に聞いたことがあった。
(このことについてはまた別に後日述べたい。)
当時4回生、45で渡米する直前のOAさんからは、「ブルーグラスを
したら…」とのお誘いをいただいていた。初夏、私達は「ドック・
ワトソン的なものがしたい…」と言っていたし、1回生では明確な
ブルーグラス・バンドがまだできていなかったのだ。
実際、3人で練習をし始めた曲目は、ザ・ニュー・ロスト・シティ
・ランブラーズ・ソング・ブックの中から選曲した、「More Pretty
Girls Than One」とか「Salty Dog Blues」、「Foggy Mountain Top」
辺りだった。
(写真:高校時代に購入した、当時の教科書?…)
ところが、先回書いたように…45の訪米中にTKと一緒にすることに
なって、ブルーグラスのサウンドにシフトしていたので、OAさんが
帰国された秋、「何や、(ブルーグラスを)しているやないか…」と
笑いながら言われた。
そうそう、OAさんは意外なアメ民記録を未だに保持しておられる。
今年2016年5月のOAさんご本人からのメールを引用させていただく
と…『その昔、IH(私の1年先輩のマンドリン・プレイヤーの方で
イソコがニック・ネーム)とどっちが早食い出来るかとの話に
なって、二人で業食(学内の業者食堂)へ行って親子丼だったかを
二つ注文。ヨーイドンで食べ始めたけど半分も行かない内に彼は
諦めた。1~2年してアメリカまで彼から手紙が来て、「OAさんの
1分2秒の記録はまだ破られてません。」だって!!』
…スゴイ話ですネ!
OAさんのこの武勇伝は在学中に、今聞くとちょっと恐~いドクロ
のニック・ネームで呼ばれていたが、実は優しい2年先輩3回生の
KSさんから、聞いたことはあった。
前後するが、このKSさんと私は、ドック・ワトソン・スタイルの
「49ers」のバンド名で、しばらく一緒にやらしてもらった。
京都方面の新聞社に就職されたが、その就職活動でKSさんが忙しく
なるまでの短期間、1回生の年末位までの間、ギター2本か、または
私がバンジョーだった。
さて、KG構内にある「白鳥の池」の端、当時の同窓会館のベランダ
及びその池の周りがアメ民各バンドの練習や全体ミーティングなど
主たる活動場所となっていた。
(写真:以下3枚とも ’98OB会のとき、
2年後輩のMY君のビデオより)
〔左側奥にちらっとだけ同窓会館とベランダが見える〕
〔大先輩のSTさん挨拶中…
今年11月5日OB会の幹事長でもある…〕
〔これはシング・アウト中、
こんな感じでミーティングが行われたなぁ…〕
この池の周りやよく行ってやきそば、お好み焼きを食べていた
お店「エース」でブルーグラスの諸先輩方から、UJ、NZや私達
新入生に親切な手ほどきや真面目な?ブルーグラス談義があった。
OAさんはマルチ・プレイヤー、45ではフラマンだがバンジョーも
アメ民に来られてはよく弾かれていて何度か教えていただいた。
はっきり覚えているのが…ドン・レノの「バンジョー・シグナル」、
「これ5弦押さえるから面白いやろ~」って。
ビル・エマーソンの「テーマ(シーム)・タイム」もだったかな~、
いやこれは1年先輩のバンドのレパートリーだったと思うので、それ
なら2回生のAMさんだったかも。
3弦のフレット3⇒2⇒開放と親指人差し指を交互に弾くのが当時の
私には新鮮だった。
(Tab:ちょっとバンジョータブを作ってみました…
上段はおそらく当時教えていただいた雰囲気かな…
以下2段はYouTubeでエマーソンが最近弾いていた
雰囲気かな…)
今回も少し長めになってしまいました…
では…また…
ナッツの物語 その2
お読みいただきまして有難うございます!
今回は楽器の話をします。
新入生は入部すると、余程いい楽器を既に持っていない限り、
ほどなく新たに購入していた。
NZ、UJ両君は、アメ民創始者SYさんが店長をしていた梅田の
阪急三番街のナカにある某楽器店を先輩に紹介されて、人気が
出だしていた「ジャンボ」(※)のものを二人とも買った。
(写真:ジャンボの当時のカタログ)
この時代、国産のフォーク・ギターといえば、楽器店には、
それらの次位に、カスガ、ハミングバード(東海楽器)、
全音等といった感じだったかなぁ~。
そんな中、最もマーティンに似たタイプとして鳴り物入りで
登場したジャンボには私も興味がたいへんそそられた。
しばらくして、それまで主にクラシック・ギターを製作していた
S矢入が参入してきた。弟さんブランドのK矢入はまだ少し後に
奇抜で個性的なデザインで登場することになる。
まだまだ先である。
サウスポーのギタリストNZはリーズナブルなJ-25の左利き用を
予約し、しばらく入荷を待った…のだったかな。
ケースはみんな(私も含めて)が持っていたスタイリッシュな
ヤマハ製を選んでいた。
彼は、カントリー・ジェントルメン(以下カンジェン)のチャーリー
・ウォーラーばりのしっかりしたステディなストロークをものに
すべく、日夜の麻雀の合間に練習にはげんでいた…ように思う…。
国産のフラット・マンドリン(以下フラマン)は、まだまだ見た
目はもちろん使用に適うようなFホール・タイプが少なかったため、
UJはAタイプの最高級品、JM-50を買った。
ジョン・ダッフィのスタイルをこよなく愛する先輩の影響で、彼が
もらうタブはカンジェンの曲が多く、彼もまた毎夕飲みに行く間を
惜しまず、熱心に練習していた…はずだと思う…。
今思えば、71年、ジョン・ダッフィがカンジェンから分かれて
立ち上げたセルダム・シーンのレパートリーからよく選曲する
ようになったことを思うとちょうど良かった…みたいな…。
かく言う私も、翌72年5月11日にジャンボの一番安いフラマン
JM-18を通学途上、衝動的に2回払いの分割でSYさんのお店に
立ち寄り鼻息荒く持ち帰っている。
私のバンジョーは…と云えば、TKから譲ってもらった中古のカスガ
(春日)製。それは71年8月15日日曜日との記録があり、おそらく
借りて合宿に持って行きそのまま購入するに至ったと思われる。
この合宿並びにカスガ・バンジョーについては別の機会に…。
因みに以前書いた最初のナルダンのロング・ネック・バンジョーは
69年1月13日日曜日に買い、1回生の71年11月に幼稚園時代からの
友人ONちゃんに譲っている。
彼ONちゃんについては改めて紹介したいと考えている。残念ながら
彼は13年12月に鬼籍に入ってしまった。今、ナルダン・ロング・
ネック・バンジョーは彼の弟宅に移っている。
※ジャンボ:マーティン研究家でもあった名工、田原良平さんが
創立した田原楽器の伝説的ブランド。
私は80年前後に田原さんにお会いしたことがある。
儀礼的に簡単な挨拶だけでゆっくり言葉を交わせ
なかった、惜しいことをしたものだ。
全体的にコスト・パフォーマンスに優れていた…
という評価が多かったように思う。
以下…家捜ししたらその時代の他のカタログが出てきたので…
せっかくだし…参考までに掲載します…
ご興味おありの方は拡大してご覧下さい。
〔ヤマハ〕
〔モーリス〕
〔ヤマキ〕
長々と失礼しました。では…また…
号外速報です!
幾度かBOMサービス㈱主催の夏の宝塚ブルーグラス・フェスが
今夏で45周年を迎えると私のブログに掲載しておりました。
それにつきまして、この度、同社社長WTさんが朝日新聞社の
取材を先日受けられて、明日28日木曜日の夕刊にその記事が…
関連して私も昨26日火曜日、電話取材を少し受けましたので…
掲載されることになりました。
朝日新聞を購読されている方はぜひ探してみてください…
でも阪神版だけかも…あいにく私のエリアは大阪版なので
読めないかも…グスン…考えたらうちは産経新聞でした…。
併せましてこの機会に、8月4日木~7日日と直近にせまった
夏の宝塚ブルーグラス・フェス(以下夏フェス)の案内
フライヤーを掲載しておきましょう。
関連してもう一つご案内を…現在の夏フェス入場チケットは、
ビニール製のブレスレット・タイプで、開催回数や年度の
記載はされていません。
初回からしばらくの間は、なかなか凝ったものがあったり、
ビニール製ブレスレット・タイプにしても、開催回数や年度が
印刷されていました。
それら初期のチケット類がすべて私宅に揃っていたことから、
ムーン・シャイナー誌編集長ISさんの依頼があり、私の力作
コレクションが夏フェスで展示されることになりました。
下の写真のようにケースにまとめましたので、夏フェスに
行かれたらぜひご覧下さい。
(写真:1回目~20回目までの宝塚フェス・チケット
記載番号が開催回です。)
併せて春と秋にも開催されるようになったフェスの初回から
3回目までのチケットやその他チケット類等家にあったもので
もう一ケース作りました。
下の写真はまだケースにまとめる前ですが…。
(写真:春秋フェスの各1~3回目までのチケットとその他)
以上、 取り急ぎ連絡いたします…ではまた…
ナッツの物語 その1
ご覧いただきまして有難うございます!では…
振り返ればもうけっこうな時が経ってしまいましたね~。
これまでのブルーグラスに関わることを紆余曲折、脱線しながら
書いていきます。
~ 入部、顔合わせからバンド結成へ ~
71年春、KG大学(以下KG)に入学、当初は学ランに丸刈頭で
通学していたので声が掛かるのは体育会系ばかり。
4月終わり頃だったか、ずらりと新入生勧誘の看板や机が並ぶ
通称KG銀座でアメリカ民謡同好会(以下アメ民)のデスクに
ふと立ち寄り1年先輩のバンジョー・プレイヤーAMさんと話を
して案内いただいたことから、後日、体育館で行われた
新入生歓迎のクラブ紹介イベントを観に行った。
アメ民の出番だ、「Blue Ridge Cabin Home」が演奏されていた
ことをはっきりと覚えている。バンジョーは2年先輩で、この春
アメ民の会長になっておられたKKさん。現在はギター&リード・
ボーカルとなって神奈川を中心にJPrjバンドで活躍されている。
岡山から来た怪童!黒縁めがねを掛けたTKは新入生ながら何と
先輩のバンドに混じって出演し、フィドルを弾いていたので
ビックリ~!凄い奴がいるものだ!
高校時代ワンゲル部だったUJは、ブルーグラスに興味を持って
いて…ソルティ・シュガーの「走れコウタロー」がお気に入りと
言っていた…、では一緒にやりましょね~と早くからまとまった。
もう一人誰かいないかな~と思っていたところ…何かの音楽は
したいが何をしようかと最初迷っていた高校時代陸上部のNZは、
KCC(※)の合同練習でKN大学に行ったとき、ステージの上の
グランドピアノの横にもたれながら、「僕もブルーグラス(っと
言ったかどうか、とにかく)UJ君と私と一緒にするわ…」ってな
話から3人ですることになったように覚えている。
(※)KCCとは、「KOBE Campus Concert」の略。
KN大学、KJ院大学、YT女子短大とKGの4大学合同の
コンサートを当時6月と12月の年2回、開催していた。
(写真:KCCコンサート 於 芦屋ルナホール?72年12月
KGアメ民のカントリー・ロック・スタイルのバンド)
アメ民に入会してなんやかんやで顔を合わせた3名、NZ(ギター)、
ほどなくオールド・タイミーっぽいというか、マイク・シーガーの
ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズやドック・ワトソンを
志向する音楽を何回か練習し始めた。
5月後半か6月の半ば頃、TKが同学年で一緒にやりたいと…
すると、本格的に?ブルーグラスへとシフトして行くのはごく
自然な成り行きだった…。本日はこのあたりで…
では、また…
前置きというには長すぎると思います…
ご訪問いただき誠に有難うございます!
私がこのブログを始めるきっかけになったブルーグラス音楽の
専門誌に掲載した記事の転載につきまして、同誌の編集長から
許可を得ることができましたので、加筆修正しつつ何回かに
分けてご紹介して参ります。
(写真:これがその…知る人ぞ知る…専門誌)
内容は、私と私が属しているブルーグラス音楽の一つのバンドの
話が中心になります。誇張はしていないつもりですが、手前味噌な
ところが心せず出て参るかと存じます。懲りずに気長にお付き合い
いただきますようどうぞよろしくお願いします。
但し、こればかり続くと何だかなぁ…とも思いますので、途中
他の話題、四方山話を挟みながら、休み休み進めて参ります。
なお今回は以降の前置きとして、大学入学以前すなわちブルー
グラス開眼前の話を極力簡潔に以下ご紹介させていただきます。
(本日の前置き話は専門誌には載せてはいませんので…悪しからず)
中学時代からギターを初め、同級生とPPMスタイルのバンドを
男2、女1の計3名で組み文化祭に出演した。
中学3年生の3月、高校受験の僅か10日程前にレスター・フラット、
アール・スクラッグス&フォギー・マウンテン・ボーイズの大阪
公演があったのだった。そして、来日するということも当時よく
聴いていたラジオの音楽番組を通して事前に知ってはいたが、
何分当時はブルーグラスに興味はなく、そんな時期に無理をして
行く気はさらさらなかった。
今想い起こせば、何とも地団太を踏む思いである…。
(写真:中学時代お世話になった主な教本類)
高校に入り、最初は男子4名でモダン・フォークのバンドを結成。
私以外3名は柔道部だった。何かの縁で興味が沸き出していた
バンジョーをたまたまその中の一人が持っていて、頼むと一ヶ月
近くも貸してくれた。
そんなこんなで、高校2年生の冬休みに入る前後だったか、親に
黙って…ナルダンのロング・ネック・バンジョーを近所の楽器店で
購入した。お小遣いをはたいて…だったので、ケースまで買えず、
しばらくは買ったときのダンボールの箱で、押入れに隠していた。
バンジョーを弾く際、フィンガー・ピック類はつけずに…というか、
ピート・シーガー教本では、ベーシック・ストラミングやフレイ
リング奏法の解説が多く、スリー・フィンガー・ピッキングに
ついては少ない内容だった…それでも有り難かった。
他に東理夫氏、ジェリー対中氏等の教本も相次いで購入した。
高校生でもあり、教えてくれる人は全くおらず、画像や音源すらも…
情報が皆無に等しい当時としては何とも致し方ない状況だった…。
(写真:高校時代お世話になった主な教本類)
高校3年生になる春3月、ラジオの音楽番組でドック・イン・ナッシュ
ビルの紹介があり、ドック・ワトソンのギター・スタイルに目覚め
傾倒私淑していった。同じくそこで聴かれたフレイリングやスリー・
された。
書けばいろいろ出て来てしまいそうなので、この程度に抑え…
また必要に応じ著していくこともあろうかと思います。
すみません、前置きだけで今日は終わります…。
ではまた…
恒例、宝塚ブルーグラス・フェスティバル近づく…
今週は家の片付けをかなり大掛かりにすることになってしまい、
更新が予定より遅れてしまいました。
あっという間に7月も中旬、日本のブルーグラス音楽界での
一大イベントが目前になりました。
今年45回目を迎える「宝塚ブルーグラス・フェスティバル」です。
(写真:主催者の facebookより)
三田アスレチックを会場にして、毎年8月初めの土日を含み…
今年は8月4日(木)夜から7日(日)お昼過ぎまで開催され、
北海道から沖縄、時にはお隣の韓国や本場USAからも…
全100を越えるバンドが集まります。
かなり以前から参加バンド数が多いため、1バンドあたりの
演奏時間は出入り含めて10分、2~3曲で入れ替わります。
下の写真は昨年の土曜日のプログラム、朝9時30分から始まって
いますが、日付が変わって夜中午前1時頃までありますので、
まだまだ続きますね…。写真小さくてすみません。
どなたが撮影されたのかすみません。不明です。
私も撮ったような覚えがあるようなないような…。
例え出番が10分間でも年に1度の楽しみとして、はるか彼方から、
ほとんどの人が何がしかのプレイヤーなのですが、一部純粋な
リスナーや、友人知人の方々と久しぶりに会えるから…と
みんなウキウキ…。
興味おありの方は下記アドレスから詳細が分かります。
http://www.bomserv.com/TBF/summer/tbf45A.htm
でも…本当に興味がないと行かれてもなかなかたいへんなことに
なるかと…。
ところで、今回でこのフェスが45回目を迎える…と書きましたが、
私の属するバンドも45年目ということで、このフェスとの関係性が
非常に高いのです。
このフェスが目標になり、おかげでバンドが続けられる名目?とも
いえるたいへん大きな存在です。
一昨年大阪に戻りましたが、名古屋に転勤になったメンバーは、
毎年欠かさずわざわざ戻ってくれていました。
…と、だんだん昔っぽい話に入っていきそうになってきたので
次回からそろそろ始めましょうか…例の話…。では、また…。